オープニングスピーチ(チーフプログラマー:ルチアーノ・バリソネ)

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【レポート】なら国際映画祭2010の初日、8/25のオープニングセレモニーでのスピーチです。

映画も生活も、時間と空間を閉じ込める容器のようなものだと言えましょう。これらはしばしば並行して営まれ、お互いを反映します。二つの接点にあるのは人間です。
人間は宇宙の自然界の中に放り込まれ、有機物・無機物を問わず何十億という形態の中から、映画に、自らの存在を重んじる作法を見いだします。
これは他の芸術でも同じです。しかしおそらくは、映像と音で現実を再現したいという本能があるためでしょう、映画では人間の存在がほかの芸術よりずっと深い信念を持って表現されます。

人間を中心とした映画の本質を、日本のような国で、しかも奈良という古都で再認識するのはふさわしいことだと思います。私たちは、映画に感動し魅了された人に誘われて映画館にやってきます。何かの出来事や人が、映画を見るきっかけを作ってくれるのです。これは私の経験でもあります。

7、8歳だったころ、私の住む地域には何人か同い年の子どもがいました。戦後の当時、町がどんどん工業地帯へと変わっていく中で、私たちは遊び場を守ろうとしました。
みんなサッカーが好きで、工場の建設予定地で毎日プレーしたものです。
ある日、友達が「すごくいい映画をやってるよ。村を襲う盗賊から村人を守る武士の話なんだ」と言うのでみんなで見にいったら、その武士がまるで自分たちのことのように思えました。
その映画は、黒澤明監督の「七人の侍」です。翌日、私たちはみな、この侍のような気持ちでした。しかし残念ながら侍のようでいても遊び場を守ることはできませんでした。工業がもたらす利益は私たちの利益よりはるかに重要だったのです。でも私たちは映画にすっかり魅了されました。

それから後、私はほかの日本の主要な監督の映画を見ました。小津監督や溝口監督の古典作品、近代の今村監督の作品、そして現代の北野監督や河瀬監督の作品です。
彼らの映画を通して私は、日本や日本の自然、文化や日本語の響きを発見しました。これらの作品がなければきっと出会わなかった世界に、私は出会ったのです。

このようなわけで、なら国際映画祭2010のプログラム調整のお話をいただいたときは非常に嬉しく思いました。私にとってこれは原点回帰のようなものです。
子どもの頃に大きな影響を与えてくれた国へ私なりに敬意を払いたいと思います。この映画祭は、私にとって故郷へ帰る旅のようなものなのです。

今はもう侍はいませんし、子どもの頃の純真さもなくなってしまいました。でも映画は存在します。そして映画は、私たちを見知らぬ世界へと導いてくれるのです。


チーフプログラマー
ルチアーノ・バリソネ
Festival dei Popoli(イタリア)ディレクター
Visions du Réel(スイス)ディレクター

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