応援メッセージ:田中 敏彦氏(参与)

"私、奈良で映画を撮ってます"
 

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河瀬直美さんが突然、「組画」と称し3人の青年を従えて、当時県庁文化課に所属していた私を訪ねてきたのが、1995年。
確か、奈良町で一緒にご飯を食べた記憶がありますが、終始"奈良を世界に発信する!そのために映画を撮る!"と。

あっつい!!!娘 やなー

が第一印象です。その後、ご本人はいやがるかも知れませんが、
「直美ちゃん」と呼ばせていただいております。

1997年『萌の朱雀』完成直後に、
私が編集長をしていた県の情報誌「グローバル奈良」第9号に登場しています。

"つくり物ではなく、本当の気持ちを描きたいから、
 私は奈良で撮り続けます。-- 映画監督 河瀬直美"


翌年、その作品で「カンヌ映画祭カメラドール」を獲得することになります。

2005年秋、突然 "敏彦さん!新しい映画撮るねん!・・・" と、
同年開館した県立図書情報館の副館長田中敏彦の前に現れます。

そこで、『殯の森』が産まれるのです。

そのことが縁で、河瀬直美監督が手がけたそれまでの作品の創作過程も含め、
全てが「県立図書情報館」に寄託されることになります。

カンヌでのグランプリ受賞を、奈良で結果を待つスタッフへ知らせる電話で
「(直美ちゃんが)泣き崩れ、何を言ってるのかさえ解らない状態だった
と聞き、恥ずかしながら、私も泣き出してしまった事を
昨日のことのように思い出します。

彼女の撮る神秘的な映像が人を惹き付ける。
河瀬ワールドと称せられる展開に人がのめり込む。

しかし何よりも、彼女自身の作品創りに対する情熱と純真さに
周りの人たちが吸い寄せられるように集まるのだと私は思います。
かく言う私もそのはしくれですが。

その純真さを失わない限り、直美ちゃんの想いは必ず形になります。

2010年は、奈良の地に我が国の本格的な国際都市「平城京」が誕生して
1300年の記念年になります。

現在、私は、始まりだした「記念事業」を担当しています。
もちろん「なら国際映画祭」も記念事業の中核となります。

河瀬直美の節目ごとになんらかの形で傍らにいる、なんと光栄なことでしょう。

平城遷都1300年記念事業が「なら国際映画祭」成功のフォローの風となるよう
微力ながら力を尽くしたいと考えています。

なら国際映画祭

"彼女が描き出す奈良" "世界から集まる秀逸な感性"
それが奈良の地でどのように習合し、
どのように表現されるのか・・・・・ 
考えるだけでゾクゾク・ワクワクするのは私だけではないはずです。
 

(社)平城遷都1300年記念事業協会事務局
副局長 田中 敏彦
(NPO法人なら国際映画祭実行委員会 参与)


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