堀井 清孝

なら国際映画祭に関わるきっかけ...。
それはやはり河瀬直美監督だろう。
 
監督との出会いは2004年の4月、あるNPOの設立の時だった。
それ以来何度となく行動を共にすることはあったが、
元来あまのじゃくな私は監督とあえて話をすることもなく月日が流れた。
 
2006年10月9日の夜、初めて二人で話した。
監督のこと。
私のこと。
これまでのこと。
奈良のこと。
これからのこと。
それから持ちつ持たれつの関係が始まった。
 
さて、私にとって河瀬直美という女性はというと...
"とんでもない"・・ひとなのだ。
 
"とんでもない"というのは、強い創作意欲が故に、
稀に私には理解できない行動や発言があるということだ。
 
私はよく監督のことを聞かれた時、
「彼女は天才です」
と答えるようにしている。
 
事実、カンヌ国際映画祭で史上最年少「カメラドール」受賞。
同映画祭で日本人として二人目となる「グランプリ」の受賞。
そして、女性としては世界で初めて受賞した「金の馬車賞」。
その他にも数々の国際映画祭での受賞等など...。
映画界で類まれな評価を得ている。
 
だから、彼女が世界で見聞きし経験したことから起こる言動が、
私に"とんでもない"と感じさせるのかもしれない。
 
とはいえ、ひとは一人では生きていけない。
それは、彼女のように「多くの繋がりをいただいた・・ひと」ほど、
一層強く感じているに違いないのだ。
お互いの無いところを補い合い、
原動力に変えていくことの大切さを、
彼女ほど望んでいる・・ひとはいないのではないだろうか。
 
歩み始めたばかりの「なら国際映画祭」も将にそんな状況だ。
新しい出来事を起こすために、いろんな人が関わり合い
長所も短所も補いながら暗中模索が続いている。
 
しかし、その道程がどうであれ、大切なのは
『本質』を自らが迷うことなく貫くこと。
貫かなければいけないものを捨ててしまっては、
新しい出来事は起こせないと思うからである。
 
奈良という街にふさわしい、つくりものではない映画祭。
世界に誇れる奈良の資産を活かした映画祭を行うこと。
それは規模の大小に関わらず『本物』でなければいけないと思っている。
それが、奈良という土地が果たすべき使命であり、
世界が求めることであり、
奈良が世界へ羽ばたくキーワードになると私は信じている。
 
最後に、私にとっての「なら国際映画祭」とは、
これを実現させ、継続させることで多くの人々の交流が生まれ、
奈良の活性化へ繋がる事業にならなければいけないと思っている。
 
奈良へ思いのある多くの人々と"はじめの第一歩"を、
これからの「なら」に思いを馳せながら歩みたい。
ご協力の程、よろしくお願い申し上げます。
 

堀井 清孝 (共栄印刷株式会社 代表取締役 社長) 

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